スポンサーサイト

--------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック:(-) コメント:(-)
tag :

あけましておめでとうございます                今年もボラバス続けます

2013-01-09
 みなさまどのようなお正月をお過ごしだったでしょうか。我が家は昨年末のクリスマス便で購入したしめ飾りが玄関を飾る久しぶりの正月らしいたたずまいとなりました。
simenawa.jpg
 今年は全国で1500家庭でこの飾りが歳神様を迎えたそうです。すごいことです。しかし残念なことに3、11は早くも風化が進んでいます。阪神淡路大震災よりも被害は大きく、風化は早いようです。それはなんとしても防がなくてはなりません。それが被災地に行き、実態を知っている私たちの責任=支援者責任だと思います。昨年はママサポーターズのコンテナハウス建設を支援し、都合三棟にまで拡大しました。草履組合の活動も参加者は50名にまで膨らみ、製品も草履だけではなく、ストラップやお飾り用の豆草履、ブックカバー、ついには鯛焼き屋と活動の巾を広げてきました。しかし人口減少が止まらず、住宅建設も始まらない女川では鯛焼きを買いにくる客も多くなく、草履の売れ行きも落ち、観光客を乗せたバスもさっぱり来ないそうです。
 であるなら今こそ私たちが地元で頑張る番ではないでしょうか。この間かなボラ、とうボラの参加者は延べで1500人近くに上っています。自分の周りで一人が10個販売すれば15,000個の売り上げを出す事が出来ます。もちろんリピーターが多いですからこんな数にはならないにせよ、一人10個で数千個は夢ではないのです。口だけで宣伝するのと、実物を手にして勧めるのとでは全く違います。みなさんが10個買い上げてくれるだけで製作者をどれだけ励ますことができることか。
 今年もまだまだ先が見えない被災地を応援するためにみなさんの智恵と力と情熱をお願いいたします。

tag :

雨の中多くの子供達が楽しんでくれました            草履組合のおばあさん達ともゆっくり交流しました

2012-12-17
 12月14日逗子、横浜、上野の3カ所から集まった42名と伴走車1台は雨がいつ降り出すか気をもみながら夜の東北道を北上していきました。福島辺りでフロントグラスに雨滴が付きはじめるものの,それほどではないのに安心します。かなり早い三陸道入りなので新しくできた春日パーキングエリアでゆっくり朝食休憩。ここは三陸道利府中ー松島間が片側2車線になったことからできた場所です。コンビニ内にカウンター席が10席以上有るのでゆっくり食事をとる事ができます。食事提供時間が7時からが残念でした。
 石巻港で三陸道を降り、石巻市内でも被害のひどかった南側地域を廻っていきました。支援を続けている大街道地区は津波除けにかさ上げされる道路が新設される事が決まりました。せっかく高い補修費をかけたのに移転先をどうするかでまた新たな難題を抱える事になりました。少しでも励ます事ができればと,時折訪問や差し入れを続けていますが,今回は東京の障害を持つ若者が集うらんがく舎からの差し入れでみかんをお届けしました。伴走車が付いているのでこのような小回りができます。
 バスはその先日本製紙の工場横をすぎて門脇地区に入りました。ここには「頑張ろう石巻」と大書した看板が立っています。震災前にここで工事店を営んでいたご主人が復興の意欲を見せるためにコンパネに書いて立てていたのが今は整備されて慰霊の灯も灯されています。
 また津波の波高を示すポールも立っており、その表示はなんと6.9m。海岸沿いの平地が広がっているこの地域が助かるはずも無い高さでした。参加者一同で黙祷しました。
PC150836.jpg
 その結果流されてきた車が次々にぶつかり、それが発火して校舎が火に包まれた門脇小学校に向かいました。避難してきた方々は校舎の裏窓からすぐ後ろの日和山公園に続く丘に板を渡して逃げて無事だったそうですが、なんとも生きた心地がしなかったのではないかと思います。
門脇小学校
 女川へ続く道は地震による地盤沈下の激しいところが多く有ります。道路をかさ上げしているのでどれだけ下がったかがよくわかり,初めての方はびっくりしていました。大潮の際は女川町内は冠水のためまだ交通不能になる場合が有ります。石巻市内の日和大橋の先に転がっていた鯨缶の大きな看板は津波遺産として残そうとの声もあったのですが、あの時の記憶がよみがえる,早く忘れたい、との声が多く撤去されましたが、女川町内に残る二件の転倒したビルはそのまま残されるようです。明治や昭和の大津波では多くの津波碑が建てられ後世への戒めとした物でしたが、残念ながらそれを超えて生活圏が拡がり被害を大きくしました。忘れやすい日本人の特徴がそれに輪をかけているように思えます。ですから辛い記憶を蘇らせるかもしれないけれど、きちんと語り伝える物を具体的に残して置く事は必要だと思います。町立病院の建つ丘に登り町内を見渡し、何にも無い風景に驚き、港に下りて復旧予定の国道の計画高(5,5m)に驚きながら、うみねこハウスに向かいました。
高白浜グループ活動は
 ここでうみねこグループと高白浜グループに分かれて活動です。高白浜では既に区長さんが樅の木を立ててくれたおかげで飾り付けがスムースにできました。港に近い畑は一年間手付かずだったおかげで草ぼうぼうでしたが、雨が幸いして楽に抜け、共に作業は午前中で終了。おばあさん達手作りの美味しいタラ汁をご馳走になり,岡清のにぎり寿司で腹を膨らませた後は子供達と遊んだり、ケーキを作ったり、お歳暮代わりにみかんをお届けしたり、と交流を重ねて記念写真を撮ってお別れしました。

「親孝行な娘」をさせてもらいました
PC150852.jpg

ケーキとプレゼントを配る。
PC150855.jpg

 次に小乗浜に向かいました。こちらでも組合員の皆さんが待っていてくれました。ちょうど制作中だったので詳しい過程を知る事ができた参加者は興味津々。いろいろ話を伺い、大変な力仕事の結果の草履だという事に納得しました。
新人は必ず腱鞘炎にかかるというのが分かります。
PC150861.jpg

 最後に皆さんで記念写真を撮ってさよならしました。
PC150864.jpg
 
 女川は人口がどんどん減っています。それを防ぐためには地元に居続けるための経済的な裏付けが必要です。布草履組合の活動は小さいながらもそこに集まった人々に幾ばくかの収入と大きな生き甲斐を与えることができました。それを支援し続ける事がボランティアには求められます。そのために一番必要な事は販売先の拡大です。生産者もそのために品質の向上を目指しています.そのがんばりに報いたいと思います。







 
 
tag :

橋浦保育所運動会ボラバス食堂 今年も盛況

2012-10-09
台風が気になった9月末の橋浦保育所運動会でしたが、幸い天気に恵まれ、昨年の出店のおかげで今年も大勢の地元の方に美味しい物を食べていただきました。
とうボラ佐々木さんの「ボラバス食堂便」報告です。


 石巻市北上町橋浦地区は一見すると何事もなかったような風景ですが、東日本大震災による津波で家々は床上浸水の被害を受けました。
 昨年の橋浦保育所の運動会は、お弁当時間を挟まず午前中のみに規模を縮小しての開催でした。子供たちの晴れ舞台、せっかくだからお昼も楽しませたい、という現地の方の声を受けて私たちがボラバス食堂を開催したのでした。それから1年。今年も子供たち・大人たちが集う保育所の運動会に日程を合わせてボラバス食堂を開催し、食事と遊びで笑顔と元気をお届けすることになりました。

~ボラバス食堂メニュー~
<<食べ物>>
お好み焼き
ぶっかけうどん
手打ちそば(体験あり?!)
五目ごはん 100人分
コンソメ野菜スープ 200人分
ベーコンポテト 100人分
肉じゃが 60人分
フランクフルト 150本
鶏ウィング 200本
わた菓子(体験あり)
ベビーカステラ(体験あり)
ドリンク

<<遊び>>
射的
輪投げ
バルーンアート
ボシャボン玉


 炊き出しや物資提供ではなく、一緒に食事したり、話したり、子供たちと遊ぶ中で地域の方たちと交流することができました。
 今回は橋浦の畑で収穫したじゃがいもをふんだんに使ったメニューでした。私たちが収穫させてもらったじゃがいもなんですよ、とお伝えすると、「ボランティアさんが畑やってるって聞いてたよ!」と言ってくださったり、
おいしい、とおかわりしてくださった方もいて、涙が出そうなくらい嬉しい瞬間でした。
 輪投げや射的ではきっちりルールを守って遊ぶ姿や、お目当ての景品が取れなくて悔し涙を流す子供もいて、その素直さに感動しました。前回から1年経ち、成長した子供たちに再会できて嬉しかったです。

 一見普通に見える橋浦ですが、様々なところに震災の爪痕が残り、田んぼは塩害でいまだに使えません。ボランティアが素通りしてしまう隙間で、単なる炊き出しや物資の提供ではなく、交流を通して「お互いが」笑顔になれる活動をこれからもできるだけ続けたい、と改めて思った一日でした。(佐々木 彩)
~Special Thanks~
ちょんまげ支援隊仙台支部のみなさん&大阪お好み焼きChantさんより屋台の出店と全面的なご協力
みんなの図書館さんより射的・わた菓子機のお貸出し
みんなの図書館さんと繋いでくださりサンマの差し入れまでくださったママサポーターズ八木さん
バンバンスティック・エア座布団を提供くださった森田さま、繋いでくださった上地さん
ちょんまげ隊琴葉さんよりハロウィンのお菓子詰め合わせ
園児や私たちにマドレーヌを届けてくださった南三陸町戸倉のオーイング菓子工房RYOさん
参加者のみなさんより射的の景品
2011年ボラバス食堂会計より食材費
橋浦で準備をしてくださった今野さん
道具の貸出やBBQ食材を準備くださったかながわ発ボラバス応援隊代表 宇田川さん

tag :

女川に「うみねこハウス」誕生、そしてこんなに成長

2012-06-26
 皆さんの支援のおかげで「うみねこハウス」が女川に建ちました。
 敷地は鷲浜(わしがはま)丸山、女川湾に向かって町立病院におりていく途中の道路、コンテナ商店街ができた向かい側です。道路の両側は一軒も無くなり、寂しい限りです。
遠景
 ガレキが片付けられたおかげでかえってガラーンとした風景になった鷲浜。その中にたった一軒だけ建つうみねこハウスはとても目立ちます。
 元はレストランの駐車場だったそうで、車の駐車位置を示す線が残る部分もありますが、半分はアスファルトが津波で剝がされ、がれきや細かいガラス、陶磁器の破片が散乱しています。一年三ヶ月ぶりに建物が建ちますが、利用する方の安全のため地面に這いつくばっての危険物拾いから始まりました。
 コンテナ敷地

 この辺は震災前は住宅街だったためガラスや陶磁器と行った生活からくる破片が多いのかもしれません。また津波とい一年三ヶ月の時間は地面をカチカチに固めてしまい、シャベルも刺さらないほどです。ここには仮設トイレを設置する予定です。下水管につなげられれば良いのだけれど、上下水道の埋設場所を記した図面もすべて流されてしまったため、管の位置を探すためにも予算が必要だそうで、生活再建の一つ一つが地震とは大違いだと感じさせられます。下水管などは見つかったとしても中は土砂で埋め尽くされているため、全部を除去するか、それが不可能なら新設するしか無い訳です。洪水被害に対応する新兵器として、下水管の中の土砂を高圧で流しだす新兵器を見たことがありますが、今回のように広範囲に被害が及ぶ場合にどこまで使えるか、しかも時間が経って固くなったものは難しいだろうし、地域の使用計画が立たなければそのようなこともできないし、といろいろ考えると本当に津波の後始末の厄介さを痛感します。

P5260177.jpg

 ここには仮設トイレを置くはずだけれど、やはり洋式でないと不便なので物件探し中。こんなに細かくがれきが土と混ざってしまっています。
 
 という作業が15便の皆さんで行われたおかげで立派な「うみねこハウス」が建ちました。その後使い勝手を良くするために、第二次作業隊が風除室と窓庇を、第三次作業隊がウッドデッキを張ってくれたおかげで、観光バスが停まる女川名所になりました。
工事1
ウッドデッキを張る

工事2
こんなに見事な光景に

作業室外
こんなことや
室内作業
こんなことで皆さんしっかり活用してくれています。
支援して下さった方々、本当にありがとうございました。





 
tag :

高城浜七人娘温泉旅行同行記

2011-12-18
 七人娘さんとの温泉旅行、途中仙台によって買い物を少々。仙台のデパートは今年売り上げが昨年よりも増加しているとか。人々の気持ちが家族や友人との結びつきを大事にする事に方向に向かっているのが原因だとか。
 本屋に入ると震災関係の本屋DVDが多くならんでいるのは被災地特有の現象です。先日行った福島の書店では原発関係の本が多く並んでいるのが印象的でした。ここ仙台で入手した一冊が「海と風と町と」と題する写真集。発行は「宮城の思いで写真集政策委員会事務局」〒980-0811宮城県仙台市青葉区一番町1-12-2株式会社南北社Tel022-722-2661 http://www.m-omoide.jp 500円です。売上金は宮城県に寄付されるそうです。ぜひお手元に置いていただきたい一冊です。初めて行く地域が多いために災害前の風景を知る由もない我々に、地域の方々と思いを共有する際の一助になる本です。
表紙
  表紙
 
女川みなと祭 海上獅子舞

 どのページにも3月11日以前の宮城県沿岸各地の風景が載っています。奇麗な風景が続く海岸線、特にやはりリアス海岸の北部地域の風景は本当に美しい。あのリアス海岸の美しさが津波の被害をひどくするとは何ともいえません。

 次は再会の期待に胸膨らませて待ち合わせの小午田駅へ。途中東北線松島駅を過ぎるあたりは車窓から海が見えます。そこには意外な事にこの間見慣れたあの無惨な海岸の景色とは異なり、以前と変わらない浜近くまで家並が広がる風景がありました。これが松島湾の島々によって津波から守られて地域なのかと合点しました。
無傷の松島海岸
 被災した地域がこのような風景を取り戻すまでにはどれだけの時間がかかるのでしょうか。

 今回の会場は鳴子温泉ホテル。八木さんのご両親は3月11日にここにいたそうです。男一人ならいかないが、宇田川案がいくなら、といって同室となった八木さんのお父さんが当日の話しをしてくれました。今回の地震での揺れは内陸の方がひどかった。7階建てのホテルが壊れるのでは、と思うほどの揺れ、まるで洗濯機の中に入れられたようだったそうです。当日は身動きも取れず、ホントに小さなおにぎりが配給されただけ。翌日ようやく10リットルだけ給油して女川町を目指したものの渋滞がひどく、平常なら2時間ぐらいの距離なのに、朝9時に出てようやく付いたのが夕方6時。しかも女川港を見下ろす坂の上で立ち入り禁止となる。高白浜までいくんだから通せ、と警官に食い下がると、それならどんなになっているか見てみろ、と言われて町へ降りて行って納得すると同時に諦めざるを得なかった、と淡々と話してくれました。
 そんないんねんのあるほてるが会場だったからか、大変なことが続出した温泉旅行だったのですが、それは順にお伝えするとして、まずは女部屋にお茶っこに呼ばれてびっくり。これから宴会が待っているというのに机の上はこんなに。
お茶っこ

 みかんにりんご、漬け物にせんべい、まんじゅうにイチゴ、果てはゆで卵まで出てきます。喰え喰えと勧められるものの、つい1時間前に昼食住ませたばかり、そして次に楽しい宴会が待っているというのにそんなに食べられません。それより温泉だあ。ここは町中も硫黄の匂いだらけ。強い硫黄泉です。温泉はガラガラ、ゆっくり楽しみました。
 さていよいよ宴会です。八木さんの司会で僭越ながら私の乾杯の音頭で始まり、まずはこちらからお召し上がりください、と仲居さんお勧めの豆乳を食べ始めたところ、初子さんの器からなんと小指の先大のガラスが出てくるではありませんか。折角うきうきと食べ始めたところでさあっと盛り下がる室内。ホテル側が平謝りするも雰囲気は固くなるばかり、八木さんは必至に盛り上げようと早くもカラオケタイム。宇田川にご指名です。早速持ち歌の吉幾三を歌えば採点は880点台、こりゃいいや、といい気持ちになるも結果はこの日の最低点でした。鍋にも火が入り部屋も暖かくなり、遠慮していた皆さんも次々と歌い出し、盛り上がってきたところに第二の事件。またもやガラスが別の料理から出てきたのです。これはいったいなんなんだ。宴会担当課長に原因の早急な説明を求めるとともに、今回の宴会は折角元気を回復し出して、災害後初めての温泉旅行なのにと強く抗議しました。でも人生経験豊富なおばあさん達はそれほどには騒ぎもせず、慌てる八木さんや私をゆっくりと見守ってくれていたのがありがたかったです。それだけではない。そんな中それでは、とトミ子さんが踊りの支度を始め出しました。以前からトミちゃんは踊りの名人だから、この人は芸達者だから、と聞かされていたので、名取りかしらと期待してきたのですが、とんでもない凄い芸の持ち主でした。(つづく)



tag :
<< 前のページへ << topページへこのページの先頭へ >> 次のページへ >>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。